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2178件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号

マッカーサーは言った、老兵は死なず去り行くのみ、と。しかし我々は違う、最後まで汗を流して子や孫をサポートし輝かしい日本国の未来の為に全力を尽くして行こうではありませんか。  改めて己が生かされている意義を問い、感謝し、皆様のご健康、ご多幸を衷心より祈念して結びと致します。     

大島理森

2021-06-02 第204回国会 衆議院 厚生労働委員会 第24号

GHQマッカーサー書簡政令二〇一号で日本政府に押しつけた、占領政策の亡霊ともいうべき違憲規定が存在していることこそが問題なのであります。  国家公務員政治的行為を一律全面に禁止し、労働基本権を不当に制限している現行規定を撤廃することに一切触れずに、刑罰規定の軽減のみを図る本法案は、国家公務員政治活動の自由の禁止や争議権の制限という現実の違憲状態を容認するものと言わなければなりません。  

宮本徹

2021-06-02 第204回国会 参議院 憲法審査会 第4号

与党の一部の皆様には何かマッカーサーあるいは進駐軍の押し付け憲法論ということを指摘されておる方もいらっしゃいますけれども、今回の参考人皆様も、外国勢力によってCM規制が、CMとか何かでゆがめられてしまったら、これは大変なことになるということからすると、やはり特に与党の皆さんからも、この国民投票法についてしっかりとした議論をしていかなければいけないんではないかということを改めて私は御指摘申し上げたいと

白眞勲

2021-05-19 第204回国会 参議院 憲法審査会 第2号

戦争放棄を定めた現行憲法九条は、元々、敗戦後の占領政策の一環として、外国人である占領軍司令官マッカーサーの指示により、我が国を弱体化させる目的のために制定されたわけで、そのような条項のままで今後もこの大変厳しい安全保障環境の中で国民を守ることができるのかということの議論を本審査会で行うべきだと思っております。

赤池誠章

2021-05-19 第204回国会 参議院 憲法審査会 第2号

マッカーサー・ノートには、自衛戦争を否定することが案としてありました。しかし、自衛戦争の否定が非現実的であると考えたGHQ民政局次長チャールズケーディス大佐がこれを削除し、新たに「武力による威嚇又は武力の行使」を加えました。ケーディス大佐は、いわゆる芦田修正も、自衛権を認めるものであり、当然であるとして、第二項への追加を了解いたしました。

浅田均

2021-04-28 第204回国会 参議院 憲法審査会 第1号

マッカーサー時代にやったのは、形の上で民営化をするということだったわけであります。  事ほどさように、あの時代の名残というものが相当今日なお残っている。菅内閣は、こうした戦後レジームに紛れ込んだ戦時体制の打破に努めておられると私は理解をしております。  例えば、一県一紙。新聞社というのは、各県一つでいいんだと、五大紙というのが当時認められました。

渡辺喜美

2021-04-27 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第10号

配置における重要な変更に該当する米軍の規模といたしましては、例えば陸上の部隊であれば一個師団程度配置ということがいわゆる藤山マッカーサー口頭了解により日米間で了解されております。装備における重要な変更は、同じく藤山マッカーサー口頭了解により核弾頭及び中長距離ミサイルの持込み並びにそれらの基地の建設を意味しております。  

有馬裕

2021-04-15 第204回国会 衆議院 憲法審査会 第1号

そして同時に、占領国GHQ支配下にありますから、日本の国会で決めても、マッカーサーの指令に基づいてそれは覆されたわけで、基本的に主権はなかったわけです。天皇陛下でさえ覆されるわけですから。  だから、そういう中で、言うなら主権回復ということが日本の悲願であった、統治権をいかに戻すか。

野田毅

2021-03-23 第204回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

例えば、十二月一日、この日は、一九四五年のこの日、当時の根室の町長さんがマッカーサー司令官領土返還を求める陳情書を提出した日でありまして、この日にちなんで、毎年我々は、東京の日比谷から銀座などにかけて中央アピール行動ということを中央政治家の方々の御協力、御参加もいただきながら展開をさせていただいていると、こういう経緯もあるところであります。  

高橋はるみ

2021-03-19 第204回国会 衆議院 環境委員会 第3号

それはどういうことかというと、例えば、エレン・マッカーサー財団という世界的に有名な環境に取り組んでいる財団がありますが、そこでは、四五%の排出が製品の製造に関連する排出量であるので、世の中で言われているように、再生可能エネルギーだけでカーボンニュートラルは実現はできません、製造に関する排出をいかに減らすか、つまり、ごみを出さないように、いかに新たな資源投入量を減らしていくか、これが極めて重要でありますので

小泉進次郎

2020-02-17 第201回国会 参議院 行政監視委員会 第1号

誰しも戦後レジームというのはマッカーサー時代につくったんだろうと思うんですけど、私の理解では、まあ見てきたような口利いて済みませんが、昭和十五年前後なんですよ。昭和十三年に企業は競争するなというお触れが出まして、で、昭和十五年、一九四〇年に、戦費調達企業に代行させるという制度ができたのが源泉所得税。その同じ年に、満遍なく地方に配付する地方配付税、今の地方交付税ですよ。

渡辺喜美

2019-05-20 第198回国会 衆議院 情報監視審査会 第4号

マッカーサーもそうです。強い強力な指導者というのは概してそういうふうになって、インフォーマル。ジョンソン大統領ですら、閣議だとか、国家安全保障会議、NSCの会議での、議事録の残るところでの話を嫌がって、火曜日の夕方に気の置けない数名の者で重要なことを決めたいと。そこは議事録を残さないんですね。そういう傾向があります。  

五百旗頭真

2019-05-20 第198回国会 衆議院 情報監視審査会 第4号

マッカーサーだとかルーズベルトやジョンソンが、制約されずに自由に言いたいことを言ってと思っていても、底辺の基盤というのは強い。  日本の場合は、それに対して、よらしむべし、知らしむべからず的な伝統があって、それだけに非常に努力が要る。だから、この会は非常に大事だと思うんですね。それを活性化させていかなきゃ、制度化していかなきゃいけない。  

五百旗頭真

2019-05-20 第198回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第3号

しかし、当時、片山政権芦田政権という、どちらかというと革新的な政権が短命に終わって、マッカーサー元帥は、もう吉田さんに頼るしかないと。そういう中で、救いの手を差し伸べました。それが、憲法六十九条に基づいて、野党から内閣不信任案を出しなさい、それを可決した上で衆議院解散にしましょうと。  ですから、なれ合い解散と言うんですね。  吉田さんは勝ちました。

谷田川元

2019-04-24 第198回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

この根拠が、講和後の日本本土においても米軍駐留を認めるとした日本政府の申出に基づいて一九五〇年の六月に締結された、日本の戦後の安全保障の概念と称される、マッカーサーさんの覚書です。この中に、日本本土における基地自由使用駐留米軍行動の自由が定められ、独立後も、日米合同委員会における秘密合意によってそれが実質的に維持されてきている。  

篠原豪

2019-03-19 第198回国会 参議院 財政金融委員会 第4号

先日、戦後レジームというのが戦時体制の下でつくられたという話をいたしましたが、マッカーサー、GHQ時代につくられた戦後レジームの典型的な例の一つであります。  昭和二十一年、まあ見てきたような口を利いて済みませんけれども、GHQお触れを出します。財産税というわけですね。まず、預金切捨て昭和二十一年の三月三日ですか、この時点での預金封鎖、新円切替え、これをお触れを出します。

渡辺喜美

2019-03-18 第198回国会 参議院 予算委員会 第11号

東郷文彦外務省北米局安全保障課長は、行政協定については一九五八年十二月十六日の外務大臣マッカーサー大使との会談の際も詳細討議されたが、アメリカ側は元々行政協定がそのまま存続することが新条約交渉前提条件であり、もし行政協定の内容に立ち入って交渉するとなれば、交渉前提が崩れる上に、一度手を触れれば二年、三年の交渉となり、条約交渉も見送るのほかなしと強調して、前途極めて困難なるを思わしめたと。

山本太郎

2019-03-14 第198回国会 参議院 財政金融委員会 第3号

戦後レジームというのはマッカーサー、GHQ時代につくられたと思いきや、実は非常に多くの戦後レジーム昭和十五年前後につくられております。昭和十五年といえば、麻生大臣がお生まれになったたつ年ですね。時あたかも近衛内閣大政翼賛会のできた年でもあります。国家総動員令というのがその二年前に出されまして、企業は競争するな、国家目的に奉仕しなさいというお触れであります。

渡辺喜美

2019-02-18 第198回国会 衆議院 予算委員会 第9号

終戦直後のまだ国民が焼け野原で飢えと闘っていたころ、祖父祖父というのは吉田茂さんですけれども、  マッカーサーに「四百五十万トンの食糧を緊急輸入しないと国民が餓死してしまう」と訴えた。結局六分の一以下の七十万トンしか輸入できなかったが、餓死者は出なかった。   マッカーサーが抗議をしてきた。   「ミスター・ヨシダ、私は七十万トンしか渡さなかったが、餓死者は出なかったではないか。

長妻昭